第6章 ブタ
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ブタは、家畜化された動物群のなかで最も知能が高いかもしれない それにもかかわらず、ブタは不浄、貪欲、大食と結び付けられてきた
ブタに対する嫌悪が世界共通なわけではない
アジアの多くの地域では、ブタは昔から今に至るまで敬うべき生き物とみなされている
また、ヨーロッパでも、その昔はブタにもっとポジティブなイメージがもたれていた
たとえば、ヴァイキング時代以前、スウェーデンの戦士はとさか部にイノシシの飾りのついた兜を被っていた (Simoons, 1994) オデュッセウスは召使いである豚飼いに敬意を払い、友人としても付き合っていた 実際、ギリシャのミュケナイ文化(ギリシャの青銅器時代で紀元前1600~1100年)では、ブタは豊穣、月、女性と結び付けられ、デメテルやペルセポネー、さらにのちのローマ神話のケレスといった女神のシンボルとされていた ヨーロッパの他の地域でも、ブタはキリスト教以外の宗教で尊重されていた 北欧神話では、ファルス(男根)をシンボルとした豊穣の神フレイはイノシシを乗り物としていたし、フレイの妹のフレイヤはイノシシに引かせた車で移動した おそらく、キリスト教化されたヨーロッパで、ネコと同様にブタも異教崇拝と結び付けられたことが反映されたのだろう また、ブタが集約的に飼育されるようになり、不浄な環境で生ゴミを餌として与えられるようになったことも関係すると考えられる
しかし、いくら生ゴミを食べていようとも、ブタのイメージがまったく損なわれなかった地域もあった
アジアの多くの地域ではブタの地位は特に高かった
ヴィシュヌ神の第三の化身はイノシシの姿をしたヴァラハであり、インド亜大陸にはヴァラハを祀る寺院がそこかしこにある 中国人はブタの家畜化を最初に行ったのは自分たちだと自慢している
中国文明の発展におけるブタの重要性を認識しているのである
東南アジアのブタの評価もこれに勝るとも劣らない
ブタへの賞賛は、熱帯太平洋の島々において絶頂を極めている
ポリネシアでは、ほぼ全域にわたりブタは神の食物とみなされており、住民は多数のブタを神に捧げる
ブタとそして特にイノシシの牙は、豊穣のほか、勇敢さなど価値の高いものと結び付けられている
南太平洋の他の地域では、イノシシの敬服すべき力強さと攻撃性が装飾芸術で強調されている
ニューギニア中部日節句地域のイアトムル族は、とても素晴らしいマイと呼ばれる仮面を創り出している この目立つ仮面は通過儀礼で用いられる
ニューギニア人にとって、富は何よりもまず所有するブタの頭数で判断されるのが普通
近東では豚肉はタブーとされる
ブタが不浄と結び付けられるのが問題だと思われる
この態度は古代エジプトに端を発するもの
しかし、エジプトがずっとその状態だったわけではない
王朝誕生以前のエジプトでは多くのブタが消費されていたし、北方ではブタはセト神と結び付けられるようにもなった しかし、ブタの消費量は着実に減少していった
王朝時代後期(紀元前1038年~332年)の終わり近く、ヘロドトスがエジプトを訪ねた頃にはブタは不潔なものとみなされ、触るのも敬遠されるほどになっていた 実際、征服後、セト神はオシリス神を殺した邪悪な神として貶められてしまった
オシリス神のの死に対する復讐を遂げたのはホルス神であった ユダヤ教のタブーはエジプトのタブーから派生したものだという説もある 豚肉をタブーとする理由はレビ記(紀元前450年頃に書かれたもの)で述べられているが、その理由はいささか恣意的なものに見える ブタは、ウシやヒツジ、ヤギと同じように蹄が分かれているが、ウシやヒツジ、ヤギと違って反芻しないが、この特徴の組み合わせは明らかに不自然であり、邪悪でさえある、というのがユダヤ教的な分類 「豚、これは、ひずめが分かれており、ひずめが全く切れているけれども、反芻することをしないから、あなたがたには汚れたものである」(「レビ記」11章7節)(訳文は『口語訳 旧約聖書』日本聖書協会、2015年)
ブタの進化
「偶蹄」とは、偶数の蹄という意味であり、偶蹄目の動物は蹄の生えた指が偶数本(2本あるいは4本)ある
ブタやその他野生のイノシシの仲間はイノシシ科に属する 偶蹄類は偶数本の指を持つことで他の哺乳類と区別できる
真ん中の日本の指の間に対称軸が通る
このシステムでは足首回転が著しく制限されるが、前方への駆動が効率的になり、そのため長距離の移動が可能になる
また蹄は人間の指のように角質化した構造だが、ラクダを除き、偶蹄類の蹄は指先全体を覆っている
ブタを含むイノシシ科のメンバーは、初期の偶蹄類がもっていた原始的な形質を多く保持している
たとえば、ブタは哺乳類が持つ歯(切歯、犬歯、前臼歯、高臼歯)を全部備えているが、たいていの偶蹄類では切歯や犬歯が著しく退化している 歯の状態のこのような変化は、偶蹄類の大多数が厳格なベジタリアンであることを反映している
反芻に関する胃の特殊化にもこれははっきり現れている
ブタは雑食性の度合いがかなり高い
ユダヤ教指導者のラビたちが気づいたように、大部分の偶蹄類とは異なり、ブタは反芻しない
だが、特殊化著しいウシやヒツジ、ヤギなど他の偶蹄類に比べ、ブタははるかに高効率で食物を身体に作り変えていくことができる
この特徴こそが、ブタの家畜化で重要な役割を果たした
イノシシ化を他のほとんどの偶蹄類から区別する特徴として、犬歯が牙になっていることも重要
下顎の牙は、捕食者に対する防衛で特に重要な役割を果たす
頭部をすばやくグイっとしゃくりあげることで、牙による相手のダメージを最大限にすることができる
また、下顎の牙は雄同士が優位と雌をめぐって闘争する際の武器にもなる
上顎の牙は主に、雄が雌を引きつけるための装飾として機能する
その後、北方へ移動し、海面が今よりもかなり低かったマレー半島のクラ地峡を通ってアジア大陸へ入った
その後、東南アジアとインド亜大陸に広がり、さらに西アジアや東北アジアへ移動し、そしてヨーロッパにたどり着いた
分布域を拡大させる間に、イノシシは25亜種に分かれた
これらの亜種は分布域内で大きく2つの系統群に分けられる
東方の領域に生息するグループ
西方の領域に生息するグループ
ブタの家畜化
おそらく2つの別個のルートがあった
一つはイヌやネコの家畜化と似たもので、ブタが人間の居住地やゴミに近寄ってきて、自発的な人馴れによって家畜化過程を開始したとと考えられる 人間の管理によるルート
最初は群れを追い集めるようなことから始まり、やがては完全に囲い込んで飼育するようになったと考えられる
これはウシやヒツジ、ヤギ、ウマの家畜化と同様の過程
この2つのルートは相容れないわけではない
イノシシおよびブタ(Sus domestica)は、今日に至るまで、大規模で存続可能な野生集団が以前からの生息域に残っているという点で、家畜化された大型哺乳類の中で特殊な存在 家畜化が始まって現在まで、野生集団から家畜への遺伝子移入(他の集団との交雑によって生じた個体が元の集団の個体と交雑することで、元の集団内にほかの集団の遺伝子が広がっていくこと)がよく起こっている その結果、世界の多くの地域では家畜のブタ集団と野生化したブタ集団、イノシシ集団の間にはなにがしかの遺伝的な連続性がみられる
遺伝子移入が起こっているため、線引は難しいこともある
一方で、世界規模で家畜豚の系統を辿ろうとする場合、野生集団が存続しているのは大きなメリットにもなる
そのためブタの家畜化とそれに続く分布域拡大については、イヌやネコの家畜化よりもかなり詳細な知見が得られている
中国では2ヶ所でブタの家畜化が行われた可能性がある
中国南部(黄河流域)による雑穀栽培民によるものと、南部(揚子江流域)における米栽培民によるもの
ブタの家畜化への第一歩は、ブタを最も呪っている西アジアで起こっている
アナトリア南東部のチャユヌ遺跡でサイズの変化した臼歯が見出された 西アジアで家畜化されたブタは農耕とともに北方へ、さらに西方へ広がってヨーロッパに達した
イタリアのブタは現地のイノシシから派生したようであり、南ヨーロッパのこの地域でも独自に家畜化が行われていたことを示唆している
その後の分布拡大
イノシシはそれまでも広い範囲に分布していたが、家畜化によってその分布域はさらに大きく広がることになった
実際には、この人為的な分布拡大が家畜化に先立って始まっていた可能性もある
キプロス島で埋葬されたネコを発見したジャン―ドニ・ヴェニエは、同じくキプロス島のアクロティリでブタ(イノシシ)の骨も発見した キプロス島には生息していなかったので、人間が運んできたとしか考えられない
ヴィニエはこの骨を1万1400~1万1000年前のものだとした
家畜化による形態的な変化が現れ始めた頃よりも1000年ほど前
さらにヴィニエは、キプロス島でのブタ(イノシシ)の発見は、更新世の終わり(1万4000年前)頃から長期間にわたり、人間が野生の集団を管理してきたことを示唆するものだと主張している おそらく最も興味深いのは、オセアニア全域への分布拡大
特にポリネシアへの移住は、6万年前に始まったアフリカから他の地域への人類大移動の最後の行程
だが、オーストロネシア人がアジアからポリネシアへ移動する際にたどった経路については議論されている
最も受け入れられている仮説は「台湾からポリネシアへの急行列車」
しかし、ブタの側からこの説明を検討すると、ある問題が生じる
過去・現在を通じて、ニューギニアから東方には野生のブタはまったく存在せず、ブタといえば太平洋クレードに属する家畜化されたものしかいない
ニューギニアでは「野生の」ブタが部族的文化において重要な位置をしめるが、これは3000年ほど前にラピタ文化の農民によってディンゴとともにニューギニアに連れてこられた家畜化されたブタの野生化した子孫
ニューギニアの民族の多くは4~3万年前からそこに暮らしているので、ブタが文化に取り入れられたのは比較的最近
一方、ポリネシアでは、ブタは最初からラピタ文化の構成要素として重要なものだった
もし実際にブタがラピタの人々によって太平洋のこの地域全域に分布するようになったのだとすれば、台湾を出発した列車は急行ではなく各駅停車であったことになる
最初は東南アジア本土で、そこで太平洋クレードのブタ(とおそらくディンゴ)が生じた
その後、ジャワ、スマトラ、ニューギニア、ソロモン諸島、終着駅はポリネシアのどこかだったのだろう
この中国由来のブタは、その後、熱帯太平洋北西部のミクロネシアに運ばれた
これは分布拡大としては2回目のもの
こちらの方が急行列車と呼ぶにはふさわしい
ただし、1回目よりもかなり範囲が限られてはいた
ラピタ文化を担うオーストロネシア人の起源とその移動については、まだ論争が盛んに行われている
それについてブタが決定的な証拠を提供するわけではない
しかし、ブタの長距離移動の過程は近年のゲノム分析によって再構成されており、この話題について何らかの情報を与えてくれるはず
野生のイノシシからさまざまな在来種や品種ができるまで
家畜化が複数の場所で、かなり異なる亜種をもとにして行われたのだとすれば、家畜化されたブタは、イヌやその他の家畜動物に比べて、当初から高度に遺伝的に分化していたことになる
家畜化の結果として各地の生息環境や文化にそれぞれ適応していき、遺伝的浮動もあいまって遺伝的な文化が更に進んだのだろう そのため、イノシシの自然生息域内には、互いに明確に異なるブタの在来種が多数、初期の頃から存在していた イノシシがまったく見られなかった地域にも人間がブタを運び込み、さらに多くの在来種が形成された
多くは野生化したが、なかにはその地の在来種の創始者になったものもいた
人間はこれら在来種の繁殖過程の管理を強化していき、ついには、もとになった在来種とはまったく別のものだと思えるほど異なる品種を作り出していった
それに従ってブタの遺伝的な分化はますます顕著になっていった
ブタには遺伝的に分化していく傾向が見られたのだが、近隣にいる野生集団からの遺伝子移入がその流れを押し留めてもいた
遺伝子移入がどれくらい起こっていたかは地域によって異なっている
ヨーロッパでは、家畜ブタはかなり自由にうろつきまわることができたので、遺伝子移入はもっと顕著だった
ヨーロッパで最初に家畜化された近東由来のブタの遺伝的痕跡は完全に消失してしまった
在来種から品種のプロトタイプへの移行の最初のステップは、おそらく中国で起こったと考えられる
ブルドッグで起こったような短頭型の進化など、顕著な変化のいくつかも中国で起こったもの 中国では優に100を超える品種が19世紀終わりには作り出されていた
ヨーロッパ、特に北方では、17世紀初めから品種はそれほど地域限定というものではなく、より流動的だった
その後18世紀後半に遺伝的な混合が次の段階に入った
中国産移入以前のヨーロッパ各地の在来種から作られていたブタの多くは、今では希少か絶滅
近年「ヘリテージ品種」として料理界でかなり注目されるようになってきたものの大部分はそのような品種 ヘリテージ品種は、今日の欧米で主流となっている超集約的養豚には適していないがために絶滅の危機に瀕している
概して成長が遅いために工場式畜産に向かなかったり、飼育に空間や資源を多く必要としたりする
豚肉の用途が変化してきたためにヘリテージ品種となったものもある
家畜化された偶蹄類のなかで、肉がもっぱら重用されるのはブタだけ
だが、ヨーロッパでは多くの品種が肉の用途に従って特化されてきており、ベーコンタイプ(加工用型)とラードタイプ(脂肪型)とが分かれるに至っている
ヨークシャーやタムウァースなど、ベーコンタイプの品種は胴体が長く、脂肪分が少なめである
チェスター・ホワイトやハンプシャー、大ヨークシャーなどは中間型の品種で、現在は主に腿肉や腰肉などを消費するため「ミートタイプ」と呼ばれることもあるが、もともとは多目的に使用されていたもの
調理用のラードがショートニングに取って代わられるにつれ、ラードタイプの品種のほとんどは、今ではヘリテージ品種となっている(Dohner, 2001) 他のいわゆるヘリテージ品種は実のところ在来種であり、飼育されていたブタが野生化した集団からなるものも多い
米国にもいくつか存在する
15世紀、スペイン人がメキシコ湾岸を探検した歳、ミュールフット(蹄が割れずに融合しているのでこう呼ばれる)を持ち込んだ 米国産の「品種」はどれも料理会のスターになっている
現在ではショートニングよりもラードのほうがグルメに好まれることから、ラードタイプの品種の将来性が高まってきた
家畜化の特徴
おそらくブタの家畜化における最初の構造的な変化は、鼻づらが短縮されたことだろう
ブルドッグと同様の変化であり、中国系品種のうち梅山豚を含む太湖豚の系統で特に顕著 イノシシの尾は実はほとんどまっすぐなのだが、ブタの尾は巻いたりねじれたりする傾向がつよく、螺旋形になっている場合もある
家畜化による変化のうち、脳の縮小は他の構造的な変化に比べて消えずに残る傾向が強いようだ
ただし、脳の縮小が知能の減退を意味するのかどうかはまだまったくわかっていない
ブタの家畜化では、特に嗅覚に関する部分が縮小している
だが、ブタで最も明瞭かつ普遍的に現れる家畜化の特徴は毛色
イノシシの毛色は哺乳類によく見られるタイプで、毛のほとんどが赤褐色で根元と先端は黒い
しかし、家畜ブタの毛色には黒色や白色、さらに様々な濃さの黄色、茶色、赤色などが見られ、毛色のパターンが豊富であり、毛色は品種を決定する重要な形質となっている
概して、白い毛色は中国系よりもヨーロッパ系の品種によくみられる
中国系品種に特徴的な毛色は黒色
野生化したブタは野生型の毛色に戻る傾向はあるものの、それにはかなりの時間がかかる
自然選択、人為選択、性選択
野生化したブタの形質のなかで、イノシシに最も知覚、かつ家畜ブタから最もかけ離れているのは雄の牙
これはもともと強い性選択にさらされてきたために進化した形質 これに関係する要因は多数あると考えられる
何よりもブタを飼う人間にとって牙は明らかに好ましくない
人間が繁殖過程を管理する際は雄同士の競争をできるだけ排除し、かつ雌ブタとはかなり異なった基準で雄を選択する
このような複数の要因が絡んだ結果、性選択圧が減少し、また性差も小さくなる
性差の減少は牙だけに限ったものではない
身体のサイズについても、家畜化されると性差が少なくなる傾向が見られる
野生化したブタでは以前の性選択体制が復活し、性差が再び現れる
デ・ソト率いる探検隊を始めとして、スペイン人は家畜豚を新大陸に連れて行ったのだが、レイザーバックはそれが野生化したものの子孫 「とがった背中」という意味
トゲのような剛毛が背筋にそってたてがみ状に生えている
雄は時にこのたてがみを逆立て、攻撃するという意思を示す
従順性を対象として選択した結果、ブタにはネオテニーという現象が生じるようになった 家畜品種に見られる牙などの性差の現象には、この現象もまた何らかの役割を果たしている可能性がある
牙は発生後期に発達してくる形質
そのため、発生が遅滞したり発生期間が短縮した場合、牙が短縮あるいは消失してしまうことがある この点から、ブタのもう一つの性的二型的形質である第三臼歯のサイズもまた、発生後期に発達する形質だということに注目したい。 野生化したブタがなぜ牙を再獲得するのかは、ある程度は説明できる
発生過程がもとに戻って野生型と同じ軌跡をたどるようになった
顔面の短縮もまた多くの品種に見られる垂れ耳と同様、ネオテニーを示唆するもの
そうであるならば、家畜化された品種において、鼻づらの長さと垂れ耳の度合い、またおそらく牙のサイズとの間に相関関係が見いだせるかもしれない
だが、毛色に生じた変化の中には、形質特有の選択を反映するものがあると考えられる
結果として、野生集団ではあまり見られなかった遺伝的変異が、家畜集団では比較的よく見られるようになった
また、野生集団では除去されてしまいがちな新たな毛色の突然変異が、家畜集団では残った
この毛色の変異が一旦目立ち始めると、遺伝的浮動と人為選択という2つの過程が表立って働くことになった 限られた地域に見られる毛色の変異は、比較的隔離された集団、つまり、他の家畜豚や野生化したブタ、野生のイノシシから隔離された集団において、遺伝的浮動により増加していった
それよりも重要なのは、育種家が毛色の変異の見られる個体を選び出して交配させるのも可能になったこと
家畜化の際に起こったブタの進化の物語には、さらに面白いことがある
ブタの人為選択にはそれぞれの文化特有の影響が見られる
中国系のブタに見られる黒は文化的な好みを反映しているようだ
殷代の宗教的供物ではブタが圧倒的に多かった
もっと世界的に行われた形質特異的な人為選択としては、養豚の繁殖力向上に関係するものが際立っている
第1章 キツネで述べたように、性成熟が早まったり、一年中繁殖可能になったりすることは、少なくともある程度は、従順性を対象とする選択の副産物として生じてくるものだ しかし、ブタの育種家による人為選択が、それらの形質を強化することになったのは疑いない
ヘリテージ品種がブタ市場で敗退した理由の一つは「改良」種に比べて成長が遅いから
家畜化とブタのゲノム
ブタのゲノミクスは、ネコのものに比べればまだ発生初期というべき段階にある イヌに比べるともっと遅れていることになる
とはいえ、人為選択の痕跡に関する予備的な知見はいくつか得られている
MC1R受容体が存在すればメラノサイト(毛のメラニン色素を生成する細胞)の色は茶色〜黒色になり、MC1R受容体がないときは黄色〜赤色になる MC1R遺伝子は突然変異によって生じた多数の対立遺伝子があり、それぞれ働きが異なっている イヌやネコの独特な毛色にはこの対立遺伝子が関係している
この突然変異の一つが中国系のブタの黒い毛色に関係している
ブタを供物にするという古代中国の文化的習慣を、ブタの繁殖力に影響を及ぼさない特定の遺伝的変化と関連付けて考えることができる
他にも注目すべきは、品種が黒い品種と同じMC1R遺伝子の突然変異を持っていること
栄昌豚ではこの遺伝子の効力は中和されているに違いない
MC1R遺伝子に生じた突然変異もKIT遺伝子に生じた突然変異も、中国系品種がヨーロッパ系品種とは独立に進化してきたことを物語っている
それらの突然変異のほとんどについて、特定の遺伝子との対応関係は見出されていないが、多くはDNAの非コード領域の調節配列で起こった突然変異であることは疑いない ウイルス感染のあとに、ウイルスの遺伝情報がゲノムに組み込まれてしまったもの
時がたつにつれて組み込まれた遺伝情報が「家畜化」されることもある
ゲノムの他の部分に起こった変異によって、増殖したり移動したりする能力が制限されてしまう
いったん家畜化された内在性レトロウイルスは調節要素となり、近傍の遺伝子の発現に影響をするようになることもある
通常、内在性レトロウイルスは悪影響をもたらし、精密に調節された調節ネットワークの調子を崩してしまう
しかし、内在性レトロウイルスによって生存や繁殖が有利になることもある
家畜動物の場合は、人間の育種家が望む形質を持っていれば選択に有利であり、子孫を残す可能性が高くなる
内在性レトロウイルスを持つことが選択に有利であれば、集団内でその頻度はもちろん増大する
ロシアの研究者たちはさまざまなPERVの頻度に基づき、ヨーロッパ系のブタが四つの異なるクラスターに分かれることを見出した。
クラスター1はイノシシ、クラスター2はベーコンタイプのブタ、クラスター3はラードタイプと多目的タプのブタ、クラスター4はミニブタ イノシシはPERVが最も少なかった
一方ミニブタは他に抜きん出てPERVを多くもっていた
また、ラードタイプのブタでは脂肪蓄積に関わる遺伝子と関連するPERVが見つかり、ベーコンタイプのブタでは筋肉の発達に影響を当てるPERVが見つかった
ゲノム研究は、生命の系統樹におけるブタの枝の中での類縁関係を決定するのにも役立つ 長年にわたり政府がブタの輸送を管理するという伝統
対象的なのがヨーロッパ系の品種
自由な移動が可能だったため、地域と系統関係の間には相関関係が見られなくなっている
18世紀後半から、ヨーロッパ各地のブタを中国のブタと計画的に掛け合わせるようになったため、地理的な条件はさらに撹乱されている これは、中国産の雄ブタとヨーロッパ産の雌ブタの交雑により作出されたもの
ヨーロッパ系品種において、中国系ブタの遺伝子移入の程度は品種によってかなり異なっているが、ティア・メランに比べれば概してかなり低い
デュロックは中国系の影響をほとんど受けていないことがわかった ヘリテージ品種の多くも同様
一般的に、ヨーロッパにおける中国系品種の影響は北の方が南よりも大きく影響を受けている
イタリアやイベリア半島の品種にはブタの系統樹内で地域別のクラスターを形成する傾向があり、北方系の品種の一部も同様の傾向を示すが、いずれも、中国系品種に比べればその傾向はかなり弱いと言える
これらの結果はどれも、血統的な関係はきわめて予備的なものとみなすべきことを示している
ゲノムのほんの一部の情報しか解析していないから
保守的なブタ――美しきもの
家畜ブタが野生の先祖から受け継いできたものを変わらず保持していることには驚くしかない
体の構造的な変化は、鼻づらと四肢の短縮など軽微なものや、毛色や肥満度など表面的なものばかり
行動的な面では、臨機応変に適応するという雑食性だった野生の先祖のやり方を保持したまま進化している
一腹子数が増加し、乳首が不足する恐れもあることを考えれば、きょうだい間の競争はむしろ激しくなっているかもしれない
野生の状態では生存できないかもしれないようなブタを人間が作り出せるようになったのは、ごく最近のこと
実際、もっと「進化」した偶蹄類の親戚たちよりもブタはずっとうまくやっていけるだろう
しかし、それはまた、偶蹄類の歴史のかなり初期に進化し、反芻類が登場したのちも長きに渡って存続してきた基本的なボディプランの成功を反映するものでもある